遠州森の石松
三河の生まれ、代々名乗った庄屋も勤めたことのある家柄であったが、石松の父の代に没落し、父親は幼い石松を連れ森町に流れてきた。ある日神社の祭礼の日雑踏の中で幼い石松は迷子になった。その頃、秋葉街道一帯に縄張りを持ち、遠近に侠名をはせてた森の五郎親分に迷子の石松は運よく拾われ少年時代を森町で過ごした。
その後、清水次郎長と親交のあった五郎親分は18歳になった石松を次郎長親分の下に預け子分となった。後に石松は次郎長の下で腕を上げ石松、大政、小政、仙右衛門は次郎長子分の四天王と呼ばれ、その中の一人として仲間からも愛され、また次郎長には子供のように可愛がられた。
ある日次郎長は恩を仇で返した八尾ヶ嶽の久六を仕留めた刀を讃岐の金毘羅宮に奉納を思い立ちこの代参の役目を石松に頼んだ。この代参まいりの帰りに都田村(現浜松市都田)の都鳥吉兵衛兄弟にだまし討ちに会い悲惨の最後を遂げた。万延元(1860)年6月17日であった。
石松は、極めて正直、単純な性格であったが、正義を尊び、不義背徳を憎み、横暴な権力に反抗し、常に弱者の味方であった。当時の侠客社会にあっても稀にみる快男児であったと言われる。
境内には石松の墓と、次郎長の碑があり、石松の墓前には焼香が絶えない。また墓は今もなお、多くの人に削られ現在の墓は3回建て直され一度修理したものである。
石松道中合羽
初代石松の墓
現在の石松の墓
遠州森の石松始末記(292KB)
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